#1 ごきげんよう、お嬢さま
あの学園の真ん中には、ずっと私がいるのよね
だからあんたも、頑張って追いついてみなさい
私の、娘なんだからね
(何を、偉そうに――!)
いま、呉匡が、立っている場所。
司隷特別校区の、ド真ん中。
中等部を含めると、生徒総数6500名。学園都市内でも有数のマンモス校である。
女子校連合「蒼天学園」を形成する十余の学校のひとつなのだけど、その存在はちょっと特殊だ。ふつうに授業もするし、学校行事もあるのだが、そこは厳密に言えば学校法人ではなく、各校の代表者たちがあつまる役員養成コースのようなものなのだ。
連合生徒会本部をはじめ、ほとんどの生徒会施設がここに集中し、学校機能のみならず、流通やインフラのような都市の運営も、ここで決定される。
つまり、蒼天学園における「中央」「首都」という役割を担っているわけである。
呉匡は、頭上を仰ぎ見た。
まるで高層ビルのような、長大な建築物が雲つくようにそびえ立っている。
華夏のどの場所からでも遠望できる「クラウド・タワー」。司隷特別校区のシンボルだ。
…とうとう、ここまで来ちゃった――
ふっふっふ…ダメだ、笑いがこみ上げてくる。
呉匡は、そのクラウド・タワーのあしもとで、転入許可証を握り締め、小さなガッツポーズをうかべた。
お母さん、私、やっとここまできたよ――!
呉匡は母親に向かって、心の中で誇らしげに叫んでみせた。
…われながら危ないヤツかも。
頭上に広がるは5月のさわやかな空。風が薫る。
呉匡は、中等部の三年生。
背は平均。胸も平均。顔も平均(たぶん)。シチュエーションによっては空だって飛べる二つのお下げがチャームポイント。
運動神経にはちょっと自信があり、勉強は、数学以外はそこそこの線だった。その数学にしたって、いちおう平均点はクリアしているはずだ。
中の上と上の下のあいだ。つまりちょっとした優等生予備軍。それが呉匡のこれまでのポジションである。
そして呉匡は、連合生徒会の役員職を志して、この司隷特別校区へ編入してきた。倍率60倍の試験と審査は容易ではなかったが、それでも何とか、難関を突破してきたのだ。
もちろん、前にいた 州学園中等部で、人に頼まれて書記を半期ほど務めただけという冴えない自分が、エリート中のエリート集団である連合生徒会入りを志願するなど、無謀であるということは十分にわかっている。
でも、お母さんに啖呵切っちゃったし。
意地でも、何がしかの役職について、ガツンと存在をアピールしておかないと。
それに、可愛い妹たちにも示しがつかないし。
…とにかく、ここまで来てしまった以上、前進あるのみ――!
連合生徒会長とかは、それはさすがに無理にしても、いずれ高等部に進学するあたりで、書記室に入ることが許されれば、そりゃもう学園有数のエリートの一員ですよ。
もしそうなったら!「清流派」としての学園中に知られるようになったりして!
そしてもしかしたら!畏れ多くも「清流会」からお呼びがかかって、入会が認められたりして――!
「ねえ、あなた――」
「うひゃあっ!?」
唐突に、声。
とんでもない声を上げて飛び上がった。…いかん、またトリップしてた。
おそるおそる、振り返る。
呉匡の目の高さに、胸。…それも、迫ってくるかのようなボリューム。
そろそろと視線を上げると、中等部のショート・タイ、セーラーカラー、白い喉、ほっそりしたあご、という順番を経て、先ほどの声の主のご尊顔があらわれる。
「――ごきげんよう」
その顔の持ち主…もとい、呉匡に声をかけてきた人物は、いささか不思議そうな声で、挨拶してきた。むろん呉匡のリアクションにびっくりしたからなんだろうけど。
「あ――――――ご、ごきげんよう」
呉匡も、5瞬ほどおくれて挨拶を返した。こちらは、声の主の顔に見惚れていたからだ。
ひいいー…。美人…。
いや、美人といっても、たとえばそれは、人形のような完璧な造形美を感じさせる類の美しさではない。何というか、内から漏れ出てくるオーラといいますか、気品といいますか…
「 州学院編入の、呉匡さんですね?」
「は、はいっ」
「よかった。私、中等部3年の袁紹といいます。よろしく」
その中学生離れした美人…袁紹さんは、鷹揚に微笑んで一礼した。
「こちらこそっ、よろしくお願いします!」
…なんというか、初対面でいきなり差をつけられるってのは、こういうことなんだろう。
美人は得だ、タッパあるほうが得だ、という次元ではなく。そう、持って生まれた「お嬢様オーラ」の質量が、そもそも違う。
「楽にしていいわ、呉匡さん。私達はルームメイトになるんですもの」
袁紹お嬢様は、余裕たっぷりに微笑むと、やはり鷹揚に仰るのである。
うう、先々になっても、かなわないっぽい…
……
…
道々お話してみて解ったけど、袁紹さんは第一印象とくらべて、ぜんぜんいい人だった。
呉匡が気づくまもなく、当然のように荷物を片方を持ってくれたし、いちいち知人とすれ違うたびに、紹介してくれた。そのたびに、呉匡は荷物を置いて「ごきげんよう」と司州風に挨拶しないといけなかったのだけど。
…それにしても。
司隷特別校区は、他の学園と違って、何もかもが威儀めかして、重厚だった。
中庭の広さでいうなら、以前いた 州学園も似たようなサイズだったけど、こちらは森だの湖だの、妙に時代がかった風景を感じさせる。
中世の大学を思わせる石造りの巨塔が並び、ナントカ式とかいう格調高いアーチ状の柱廊が中庭を貫いている。その中を、行儀良く教科書を小脇に挟んだ生徒達が、談笑しながら往来している。――ああ、あれが噂にきく司州ボレロか。このブレザーも詰めなきゃだめだな…。
…なんというか、こないだ妹と見た、世界的大ヒット小説原作の映画に出てきた魔法学院を、ところどころ近代的に仕立て直したような、そんな世界。
司隷特別校区。蒼天学園の中心にして、栄光と、権謀術数うずまく学園都市の「首都」。
これから呉匡が過ごし、学ぶ場所の風景であった。
…で、到着したのは、司隷校区内にある寮だった。
「――ここが、私達がお世話になるお部屋。4人部屋だけど、あなたを入れて三人しかいないから、ゆったり使って貰っていいわよ」
寮というより、寄宿舎といったほうがしっくりくるような、由緒正しい石造り。
うう〜、蓬莱橋のむこうにある総合女子寮の、コーポレートマンションみたいな雰囲気とは全く違う、まさしく「女子学院のお嬢様」のお住まいだあ…。
袁紹さんが案内してくれた部屋は、4階だった。
部屋は想像以上に広い。正方形で、中央に半円ソファーと小さなテーブル。
二段ベッドが両サイドに二つ。机と本棚がそれぞれ等分に4つ。大きなガラス窓から、共用ベランダに出入りできる。
オール木造。ていうか、調度品。暖炉が設えてあっても、違和感は全く感じないだろう。
…やっぱり、他の校区の「集合住宅」と違うよ…
「他の大きな荷物は、後から届くのよね?」
「はい。昼から。…ちょっとのあいだ散らかしちゃいますけど」
「かまわないわよ」
まあ、私物といっても、手持ちのバッグに入りきらなかった衣料類がメインなんだけど。
ちなみに、寮から寮へと引っ越しの多いこの学園都市内では、この種の軽運送業が貧乏学生の貴重な収入源だったりするわけで、運送バイト間での組合やら協定やら元締めやら労使間闘争まで存在するという。
などと、部屋の内容物に興味を惹かれているところ、部屋の隅の二段ベッド上段が、急にもぞもぞと動き出した。
袁紹さんが仕切ってる部屋にしては、乱暴に積まれた布団だなあ、と思ってたそれは、ムクリと起き上がって、頭をボリボリと掻き上げる。…人間だった。
「――ん。おはよう」
だらしない声。
とたんに、袁紹さんの立派な眉がきゅっと顰められる。
「もう昼よ、許攸。そのうち醗酵するわよ。」
「ああ〜。いいわねえ、それ。ねばーっと糸引いてみたいなあ〜」
「だから二度寝はやめなさいって!新しいルームメイト紹介するんだから、降りて来て!」
糸を引きながらシーツに包まり直る彼女…許攸さんを叱り付けて、袁紹さんは気恥ずかしそうにこちらを振り返った。
「――あの子は、頭いいけどバカなの。寝起きは特に」
うーん。なんか今の一連のやりとりだけで、二人の日常的な関係が判った気が。マイペースの許攸さんに、仕切り屋お嬢様の袁紹さんが振り回されてるんだ。普段はおおむね、うまいこと棲み分けているのだろう。
と、ズルズルと糸をひくように、許攸さんがシーツごと梯子を降りてきた。そのままズルズル白い塊ごと通り過ぎようとするので、袁紹さんがすかさず端っこをひっ捕まえた。
「こら!ルームメイト紹介するって言ったでしょう!きちんとなさい!」
「えー。…だってほら」
許攸さんが言い終わる前に、シーツがずるりと落ちた。
――ひいいっつ!?
き、許攸さん大胆!? オールヌードですか!?
「きちんと顔洗って、服着てから挨拶しようとしたのに…。袁紹ったら、何もここで剥がなくても」
「い…っ、は…っ、ふ…!」
あ、袁紹さんが絶句してる。…っていうか許攸さん、あんたもケタケタ笑ってる間に前隠せ。
「い、いいから、早く、服を着なさいっ!」
ようやく言語中枢を掌握したのか、袁紹さんは言いたかったことを怒鳴りなおした。許攸さんはヒラヒラ手を振りつつ、シーツをズルズル引きずったままクローゼットのほうへ歩いていった。
見苦しいところをお目にかけたわ。と、袁紹さんは頭痛を抑える仕草をしながら、ポットでコーヒーを淹れてくれた。
「インスタントだけど、いい?」
うわ、一度そういう台詞をさらっと言ってみたい。うちなんか、誰が来てもインスタントです。
「…それとも、一度煮詰めたほうがいいのかしら。許攸がよくやってるのだけど」
途中で、変にこだわりを見せる袁紹さん。
「い、いえ!お構いなく」
だいたい、私は違いが解らない人種ですから。
「お砂糖とミルクは、ここにあるから」
「あ、ありがとう」
…と。ようやく背後から、フローリングを歩くスリッパの音が聞こえてきた。
「ごめんごめん、お待たせ」
許攸さんの身支度が済んだらしい。
呉匡は、今度こそ挨拶しようと思って立ち上がり、振り返って…息を呑んだ。
そこに立っていたのは――。
先ほどの許攸さん…
には違いないのだけど。まさに別人。
アイロンのきいた純白のセーラーブラウスと、鮮やかにコントラストを成す漆黒のボレロ。いっぱいまでウエストラインを引き上げた漆黒のスカート。…
「はじめまして。中等部三年の許攸です。よろしく」
不思議なもので、声までさっきと違う。まるで中の人が入れ替わったかのようだ。
いま、呉匡の前に立っているのは、一人のエリート中学生。
優等生タイプの袁紹お嬢様と対照的で、ちょっと斜に構えた切れ者、という雰囲気である。
――どうりで、袁紹さんのルームメイトなわけだ。
呉匡は合点がいってうなずいた。と、その呉匡の頭上を、あきれた声が通過する。
「この落差をつけるために、わざと裸のままで居たんでしょう?」
「あ、ばれた?」
なんと…許攸さんは、さっきの驚愕の一瞬を演出するために、わざとああいうはしたない格好でスタンバイしていたらしい…。
「…こういう子なの。人を化かすのが趣味だから、呉匡さんも気を付けてね」
「って、もう化かされてるけどねえ」
人を指さしてケタケタ笑う許攸さん。顔をしかめる袁紹さん。
この二人が、これから当分の間、ルームメイトになるのかあ…
面白そうだけど、なんか無用な気疲ればかりしそうだと思わずにいられない…。
「ま、これから、よろしく」
笑いながらも許攸さんは気さくに握手の手を差し出してくれ――
「かかったね、呉匡たん!」
…いきなり抱きついてきた。
が、呉匡は残像を留めるほどのスピードでスウェーし、許攸さんは見事に空を抱きしめてソファーに突っ伏す形となった。
「え…?」
驚愕の声が、許攸さんと袁紹さんの二人の口から同時に上がった。
信じられない、という顔で、まじまじとこちらを見上げてくる許攸さん。
「私の初弾が外されるなんて…。呉匡たん、何者なの!?」
…何者って。それ以前に呉匡たん、って。
「ええと、ついクセで」
抱き付き癖は、実はお母さんと妹共通の悪癖だ。10年以上これを回避する訓練を積んだお陰で、今ではノーモーションからの抱き付きにも対応できる。
「…ひょっとして武道の心得があるとか」
袁紹さんが、なぜか用心深そうに訊ねてくる。…抱き付き攻撃を武道の型と見るなら、達人ですと答えられるんだけど。まあ、歩卒術に似たような組み討ちもあるが…
「まともにやったことあるのは、フェンシングくらいです」
フェンシング!?と、袁紹さんも許攸さんも心底驚いたような顔で呉匡を見た。
…すみません、似合わなくて。
間の抜けた沈黙がつづいたあと、弾けるように笑い出したのは許攸さんだった。
「いやいや、意外性があっていい!今度は長いこと楽しめそうだ」
…へ?
すかさず、袁紹さんが冷ややかに応じる。
「許攸。次に何かあったら、出て行くのはあなたの方なのよ」
「だから、それまでのあいだぁ」
いきなり、ぬいぐるみを抱き取るように首ねっこを抱き寄せられた。…しまった、油断した。
「駄目!これ以上私の部屋で好きにはさせないわ!」
と、次は袁紹さんが呉匡の体を許攸の腕から引っこ抜いた。さりげに部屋の所有権を主張したようにも聞こえるけど、とにかく痛い。
なんというか…。
こうなる予想はしていたけど、気が付けば呉匡の首根っこをめぐって、袁紹さんと許攸さんが激しい火花を散らしている。
うう…お母さん…
あなたが若かった頃にも、こういう試練ありましたか…?
匡にはちょっと、打開できそうにないくらい、ピラミッドの下のほうに立ち位置が確定したっぽいです。
エリートへの道は遠く険しい…
――ちょっとお母さんを尊敬することになった、司州第一日目の出来事でした。
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